今回は、レオーネが感じたWCCFの歴史④です。
2004年1月11日 WCCF第二回全国大会が開催されました。
第一回大会で「クイーン」というネームのチームで出場したので、今回は「キング・レオーネ」か「ジャック・レオーネ」で出場しようと決めていました。
しかし、大会参加に関してなかなかモチベーションが上がりませんでした。
というのも、この頃から6バックが流行り始めていたからです。
「DFが6人!!」最初驚きました。
3バックの上に、もう3人のDFが配置される。
対戦相手が6バックだと高確率で引き分けになっていました。
「面白くない!」WCCFを初めてそう思いました。
WCCF第二回全国大会では、予選敗退でした。
1戦目、2戦目ともに「引き分け」でした。
優勝したのは、中央突破クライファートの「ベガルタシンキチ」さんでした。
6バックのDFをクライファート1人が抜きまくってました。
2004年6月17日02-03 Ver.2.0 稼働する。
レオーネが感じたWCCFの歴史⑤へ続く
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